田村山安養寺(真言宗智山派)は高幡不動尊から浅川を渡った北東にあり、多摩川の近くに位置しています。将棋好きの言葉で「王手は日野の万願寺」と言いますが、その万願寺の南東に接しています。なお、今日万願寺というお寺はなく、地名として残っているのみです。
「田村」というのは、かつての日野市下田のことですが、その名はこの辺りから起こり、居館を構えていた武蔵田村に由来しています。田村氏は日奉氏族西党の一氏で、知行地を有していました。田村駄太郎知實、その子の同三郎弘綱(平安時代後期〜鎌倉時代初期)等の末裔に、安養寺を開基したといわれる田村安栖がいます。
田村安栖は小田原城の御殿医で、小田原北条氏最期の場面に小田原の自邸を提供し、氏政、氏照兄弟が切腹場に当てた(1590年・天正18年7月11日)ことは「北条五代記」(小田原記)に詳しく書かれています。今でも小田原市の中央部に「安栖小路」の名が残っています。
安養寺の本堂(1690年頃・元禄時代初期)は田村氏の書院の一部を使い、建立されたと伝えられております。